10月16日は創立記念日で、新渡戸稲造先生のご命日です。
新渡戸先生は9歳の時、岩手県から上京し、英語学校で勉強しました。新渡戸先生は、東京で学んで、日本の中で岩手県のために働こうとしたのです。しかし、東京の学校で「日本で遅れているものは、科学である。つまり、物理と化学である。これが遅れている間は、西洋に追いつき追い越すことはできない」という話を聞き、新渡戸先生は「これからは、世界の中の日本という視点でものごとをとらえなければならない」と気付きました。それで、当時の最先端のことを学べた北海道の札幌農学校に入学しました。15歳の時のことです。
クラーク先生はアメリカに戻っていましたが、他の外国人の先生から英語で授業を受けました。英語で書かれ新渡戸先生のノートが北海道大学図書館に残っています。
札幌農学校を卒業して、21歳になって東京大学に入学するときの試験の面接で、何を学びたいかという質問に、「農政学をしたいが、そういう学問はまだないので、その参考となる経済、統計、政治学を勉強したい。ついでに英文学も勉強したい」と答えました。違うものを二つ学びたいという、ちょっと理解しにくい答えだったので、「なぜ英文学を勉強したいのですか」と質問があり、「太平洋の橋となりたい」と答えたのです。さらに「太平洋の橋になるとは、どういう意味か」とまた質問があり、「日本の思想を外国に伝え、外国の思想を日本に普及する仲立ちになりたい」と答えました。
東京大学に入学して、授業が札幌農学校の授業より8年は遅れていることを知りました。それで1年で退学し、アメリカに渡り、メリーランド州ボルティモア市にあるジョンズホプキンズ大学に入学しました。創立者の森本厚吉先生も後にこの大学で学んでいます。
先月、ジョンズホプキンズ大学に行ってきました。今年は創立130周年にあたります。大学の図書館で古い資料の中に、新渡戸先生と森本厚吉先生の資料がありました。
新渡戸先生が1884年、今から122年前に、大学に応募するときの書類が見つかりました。(写真1)新渡戸先生は、日本に戻って教えるために、歴史と政治学を学びたいと書きました。
古い図書館は中央の吹き抜けから見上げると6階ぐらいまで書架が見えます。(写真2)新渡戸先生が在学中に読んだと思われる19世紀アジアの本もありました。
森本厚吉先生は19年遅れて、1903年から2年間、大学院に入学しています。その10年後に博士論文を提出した頃の30代の写真も見つかりました。(写真3)
122年前に新渡戸先生が入学したころ、この大学にいた日本人は4人らしいのです。つまり、テレビがなく、飛行機が飛ばない時代に4人ということは、アメリカ人と接する機会が非常に多かったようです。宗教に関心のあった新渡戸先生は、いくつかのキリスト教会に行ってみました。しかし、どうもしっくりしません。ある時、クエーカー派の教会に行ったところ、その様子が気に入りました。クエーカー派とは、キリスト教の中で最も東洋的な宗派で、牧師や神父がいません。日曜日に何十人が長椅子しかない部屋に集まって、1時間ぐらいを過ごします。長椅子は部屋の中央を向いているので、向こう側に座っている人は見えます。そして、神様の言葉を感じた人がそのことを話します。1時間で何人も話すこともあれば、誰も話さないこともあるそうです。ちょうど、座禅を組んでいるようなのですが、座禅は壁に向かって座り、クエーカー派の集会は向かい合います。
この話で、何か気が付きませんか? これを短くしたものが、「沈黙」です。沈黙は1分ぐらいなので、何もひらめかないかもしれませんが、1時間ぐらい沈黙していると、何かひらめくかもしれません。
一所懸命に勉強して、毎週1時間ぐらいは沈黙をする。これが、新渡戸先生の勉強のやり方だったらしいです。この勉強方法は森本厚吉先生にも受け継がれています。そして、皆さんにも受け継がれています。
理事長 森本晴生
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